この世の終わりバッヂ

昨日の日常に書いた14日配付の新聞コラムの件。
コラムを読んでくれた人、または今から読み直してくれるかもしれない人の為に訂正を。
訂正、というか欠落していた何行かを含め、全て記します。
暇な時間にでも新聞と合わして見てやってくれたら幸いだ!


↓2/14配付の新聞でのコラム↓
や、ほんまのところ、びっくりしてるというのが正直な気持ち。
始めた当初はまさか3年も続けているなんて思いもしなかったんやから。
そもそも【アコギのおっちゃん】というものは何ゆえに生まれたものなのか。
僕がバンドを始めたのが二十歳。昨今のバンドシーン、17〜18歳の若いピチピチの男の子達が普通にライブハウスに出演しているのを考えると、「二十歳から始めた」のは遅いのだろうか??
話を戻そうか。
1991年から活動していたバンドの解散、そして新しいバンドへの加入、そしてまた解散‥と、月日は10年を重ねていた。
次のバンド活動への準備期間中のある日、セッションライブへの誘いの電話が。
元々コピーバンドすらまともにやったこともなく、初めて組んだバンドでもすぐにオリジナル曲を作ってたもんやから人の曲をバンドでするのって苦手で。
それまでにも幾度もセッションの誘いはあったし、実際やってきたんやけどね。
で、なんか知らんけどそん時の誘いに突然、『一人でなんかやったらあかん?』とかなんとか口走って。それが2001年3月、今はもう無いけど尼崎のライブハウスで。
後輩のアコギを借りて月亭可朝さんの『嘆きのボイン』をやったんかな。
たしかそん時のチラシ等に記される明記は【TAKO ギター漫談】みたいな感じやったかと。
で、これがもう無茶苦茶(笑)酔っ払って何を喋ったか覚えてないし、曲もまともに演奏してないもの。
覚えてるのはちっちゃいオバケのQ太郎の人形を100個ぐらいステージからブチまけたことくらい。
今の飴ちゃん配るスタイルの始まりやね、これが。
で、その時に後輩達がステージ袖から『おっちゃん〜!アコギ持ったおっちゃん〜!』とかってふざけてちゃかしてきてたのが今のおっちゃんの名称の由来で。
それから約1年後、BRAND NEWにて【アコギのおっちゃん】として出だしてから3年ですよ、あなた。まさか3年もやってるなんてねー。
まぁ始まりなんてのは得てしてこんなもんやなぁとも思ったりもしますが。
しかしこんなわけのわからんキャラの奴を出演させ続けてる各ライブハウスのマネージャーやイベンターには未だに疑問やけどね(笑)
こんな奴出しててええのん?って。
や、もちろん感謝はしてますよ。一人でないと経験出来ひんことを十二分に経験させてもらってますから。
ま、これからもまったりゆったり、真面目にふざけて遊んでいきたいなぁと思うアコギのおっちゃんこと蛸ですよ。
なんかまじめに書き過ぎて気持ち悪い‥?そらあかんな、目ぇ噛んで死んだらええねん。さて、屁ぇこいて寝よーっっと☆
2006年1月12日
アコギのおっちゃん(蛸)


という感じだ!
ほ〜ら。欠落した部分を足したら文章繋がるやん♪
え?結局その部分足したところで下手くそな文章には変わりない?
うっさいボケーっ!!!


☆☆☆ 画は2/14〜発売中の缶バッチ。